喉が・・・

 

先日、耳鼻科にかかった。

以前から喉に引っ掛かりがあったから。

 

鼻から内視鏡を入れて喉の奥まで見てもらった。

涙を少し流しながら先生の言うことを聞いて、首を横へ向けたり、口を膨らましたり。

「早く終われ、終われ」と心のなかで何度も言った(汗)

 

カメラでは喉に特に問題はないとのこと。

そして触診。

喉のある場所を触られるとあたる感じがした。

 

そんな時に思い出した映画が「贅沢な骨」。

 

 

20代前半に見た映画。

「贅沢な骨」主演:麻生久美子 つぐみ 永瀬正敏

 

この映画のワンシーンが頭に浮かぶ。(喉は問題なしでした)。

喉に引っ掛かりを覚えた彼女が診察を受けるシーン。

 

2001年、当時本屋でたまたまこの写真集を見つけて気に入り、そのまま新宿の単館映画館へ観に。

 

この映画は、若い男女3人が心の傷や葛藤を抱えながら、「誰かになろうとする男」、「誰かに愛されたい女」、「誰かに認めてもらいたい女」・・・。そんな3人が一台のミキサーの中に入れられた金魚のように、スイッチひとつで全てが終わってしまいそうな危うい関係を淡く綴る、見る側に淡々とその危うさを投げかけ、自分の内面と対話させるような映画でした。

 

特別何かを強く主張する映画ではないけど、感傷的で少しそれに近い気持ちが自分の中にもあったのか、当時とても引き込まれたのを覚えています。

 

今でも、この映画のような雰囲気の写真が撮りたいと思ってるけど・・・気が付けば都市風景(笑)

 

↑映画の所々には時間がゆっくり過ぎるシーンが散りばめられてます。

スマホが無い当時だからこそ成立する静寂のシーンかもしれない。

そこが本当に良い。

 

SNSやLINEが当時あったら、3人の気持ちは数行のやり取りで終わり、それらはデジタルの海へ飲み込まれ、そして大量に押し寄せる着信や情報の多さに埋没してしまったことでしょう。

「誰かになろうとする男」は「いいね!」ばかりを押し続け、「いいね!」ばかりを求める男になってたかもしれません  (汗)。

 

話しが変な方向に行きましたが、そう考えると、こうした映画はもう作られることは無いかもしれないですね。

何だか少し寂しい気もしますが、それが時代の流れなんでしょう。

 

映画の中で使われた曲。カッコいいです。